1955年、この年4月に日本中央競馬会理事長に就任した有馬頼寧は、待望視される声に応える形で、あるビッグレースの実施を発表した。
「一年の総決算となる大レースを中山競馬場で実施する。このレースに出走する馬の選定については、競馬ファンが望む形にするため、ファン投票により決定し、事実上のグランプリとする」
レース名は【中山グランプリ】に決まり、早速、翌56年の番組に組み込まれた。
記念すべき第1回中山グランプリは、今年と同じ12月23日に行われた。優勝したのはこれが引退レースとなるメイヂヒカリ。ファン投票こそ菊花賞馬キタノオーに届かずの2位となったが、前年の菊花賞馬であり、この年の天皇賞・春を制した実力は並ではなく、2分43秒1のレコードタイムで、キタノオーに3馬身差をつけて優勝。栄えある第1回グランプリホースに輝いた。
グランプリの実施は、多くのファンにも受け入れられた。だが翌年、このレースの創案者の有馬は急性肺炎により逝去。同氏の功績を称え、翌年からこのレースは、有馬記念と改名されることになる。レース体系としては66年の第11回から距離が100m縮小され、今と同じ2500mとなった以外は大きな変更点はない。
師走の大一番ということもあり、有馬記念はこれまでに数々の伝説を残してきた。65年には「シンザンが消えた」の名台詞を生んだシンザンの大外強襲劇による5冠達成。また、76年〜77年はトウショウボーイとテンポイントによる2年連続のライバル対決がファンの話題をさらうことになる。
3歳時にはトウショウボーイに完敗し、宝塚記念でも完敗していたテンポイントにとって、トウショウボーイの引退レースとなるこのレースは最後の雪辱の舞台。4分の3馬身差でライバルを蹴落とし、念願の年度代表馬の座についた。
さらに90年にはオグリキャップが有馬記念で奇跡の復活を遂げ、あの感動的な「オグリコール」が場内に響き渡った。93年にはトウカイテイオーが、常識を覆す1年ぶりの復帰戦での優勝を果たし、99年にはグラスワンダーが史上3頭目となる連覇を達成。2着に敗れたスペシャルウイークがウィニングランを行うほど際どいハナ差の接戦を演じてファンを興奮させている。
なお96年に同レースが記録した875億104万2400円という売り上げ額は、単体レースとしては世界一の記録として、今もギネスブックワールドレコードに記載されている。
今年は有馬記念の創案者、有馬頼寧の没後50年。それもメイショウサムソン、ダイワメジャー、ダイワスカーレット、ウオッカと年度代表馬を決めるに相応しい、錚々たるメンバーが顔を揃えた。果たして、どのようなドラマが繰り広げられるのか。12月23日、午後3時25分。いよいよ運命のゲートが開かれる。